Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

『アンナチュラル』 #7 「殺人遊戯」について

 TBS ドラマ『アンナチュラル』の七話を見た。面白かった。泣いた。以下ネタバレ感想*1

 

 

 思うままに転がされた感がある。
 法医学に興味があるという少年からメールが届き、載っていたリンクを踏むとパプリカ男が配信をしている。死体が出てくる。すでにわけがわからないが、ミステリ慣れしたわれわれは劇場型犯罪としてすぐにこの異常を受け入れる。
 パプリカ男の要求は視聴者数が十万人を超す前に検死によって真の死因を明らかにすること。殺人者が仕掛けてくる反倫理的なゲームの構造に――ゼロ年代で食傷したとはいえ――興奮する。とはいえ死因はどうみても刺殺である。ということは「それがどのような刺殺であったのか」が重要事になる。

 真相としてはいじめっ子に罪を着せるために偽装をほどこした自殺なのだが、ようはコナンの一巻でみたあれですね、背中に大きな創傷が三つもあれば他殺に見えるだろうという工夫がこらされているのがいい一ひねりで、作中ではもちろん現場検証も行われているが、死体だけでもきちんと真相に気づけるようになっているのがよい。
 この物語一番の泣きのポイントはもちろん真相がわかったあとに S と Y の犯行計画が回想されるシーンで、あくまでも冗談/友情のつもりでやっていた S の行為が裏目に出るのが悲しい。しかも、冗談だからこその凶器回収のトリック――ばかばかしいピタゴラスイッチで、ふたりでおそらく笑いながら作ったような、冗談みたいな、のんきなトリック――ほんらい二人で計画の実行に及ぶのであれば必要のないもの(そりゃそうだ、S が持ち去ればいい)が、使われてしまったというのもまた悲しい。そしてそのトリックはコナン・ドイル「ソア橋事件」からの借用なのだが、この借用は手抜きではなく、ふたつの作劇上の効果につながっている。
 メタな視座からいっても*2、物語の内的論理からいってもこれが借用であることは隠されていてはならない。というわけでパプリカ男は配信中に元ネタの小説を朗読する。死体の前で暇つぶしに小説を朗読するというサイコパス描写として活きていた行動が伏線として活用されていた。また、ソア橋事件においてもこのトリックが用いられた理由は濡れ衣を着せるためだったのだが、パプリカ男はここでも情報を提示していた。堂々としたやり口に舌を巻く。

 劇場型犯罪を起こす動機として社会悪の暴露というのは特段目新しいやり口ではないが、この作品ではあまりにすべての要素がきれいにひっくり返るので美しい。前述したようにサイコパスかのようにみえていた朗読は物語内外における伏線として機能するし、視聴者数が十万人を超すまでに、という露悪的でサスペンスとしては最高のタイムリミットが、切実な告発の規模だったことに泣く。「もう一人殺す」という宣言は自殺のことであって、Sが自死を選ぼうとする姿は中堂のサバイバーズ・ギルトと重なる*3

 法医学者の仕事は「死因」を特定することだ。ところで死因は因果関係の一形態であるが、因果関係というのはもちろん実在的ではなく、現象の連続に人間がどう抽象的な判断を与えるかという形式の問題である。だからこそ S は「法医学者」に「死因」を政治的な意味で問い、ここでは直近の原因である「自殺」とその一つ手前の原因である「いじめ」を並列させ、境界事例に追い込み、判断を迫ったのだ。ミコトが「法医学者としては」という留保をつけたのは慎重だった。


 サスペンスとして使った展開の意味を逆転させ、視聴者の安楽な態度を揺さぶるやり方とタイミング、無駄のない細部と全体の照応、扱う手つきの慎重さ、現時点での最高傑作と考える*4。残り三話への期待が高まる。

*1:ツイッターでやろうかと思ったが、長いしネタバレがひどい。

*2:元ネタを黙ってたら剽窃になっちゃう。

*3:ミコトが言う「名前を変えて生きていく」も彼女の姿と重なっていて上手い。

*4:あとは一話が好き。