Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

David Foster Wallace "Good Old Neon" について

0. David Foster Wallace について

 デイヴィッド・フォスター・ウォレス David Foster Wallace (DFW) は 1962 年 2 月 21 日生まれのアメリカ人作家で、生年月日がチャック・パラニュークとおなじなのだが、パラニュークとの共通点は生年月日だけでない、実験的な作風と、やたらとカルト的な人気も共通している。

 邦訳された小説は『ヴィトゲンシュタインの箒』(デビュー作)と『奇妙な髪の少女』(短編集)の二冊あるが、代表作の Infinite Jest は代表作であるにもかかわらず、タイム誌とかが選ぶ読むべき n 冊みたいなやつにもしょっちゅう挙げられているにもかかわらず、翻訳されていない、というのも、DFW の作風ははっきりいって異常で、IJ はスラングや略語、異常なほどの長文を多用した文体が 1,000 ページくらい続くうえに脚注が 388 個あって、文体だけでなく物語も複雑、らしい、それが原因だ。読む/読める気がしない*1、というのはわたしが日本人だからじゃなくて、アメリカ人にとってもそうであるらしく、The New Yorker には How to Read “Infinite Jest” | The New Yorker なるしょうもない*2エッセイが掲載されたことがあったりして、ようするに本棚に差しておくと箔がつくとか、ダールグレンというか、重力の虹というか、そういうたぐいの本である、ということでわたしも買って本棚に差してあるが安心してほしい、一ページも読んでいない。

 ただ DFW もちゃんとおもしろいからウケてるらしい、でも IJ を読むのはちょっとキツい、ということで短編を読むことにしたが、どれが短編での代表作なのかわからない、"Good Old Neon" は O. ヘンリー賞取ってるらしい、じゃあそれにするか、ということで "Good Old Neon" を読んだ。Oblivion: Stories に所収。翻訳もつくった(文学的、美的なそれではなくて読めればいいや式のそれ)ので興味があるひとは個人的に声をかけてください。

 

Oblivion: Stories (English Edition)

Oblivion: Stories (English Edition)

 

 

 

1. Good Old Neon について(あらすじ、かんたんな紹介)

 Good Old Neon は "fraudulence paradox"(詐欺師のパラドックス) についての小説だ。詐欺師のパラドックスとは、「他人に印象的に、魅力的にみせようとして、より時間を費やして努力すればするほど、内心では自分をより印象的でも魅力的でもなく感じてしまう――詐欺師であると感じてしまうことのことである。そして、詐欺師であると思えば思うほど、いかにじっさいの自分が空洞で、詐欺師的な人間であるかということを気づかれないようにするために、他人に印象的で、好感の持てるイメージを与えることに熱心になる」ことである。主人公は広告代理店につとめる Neal ニール、幼少期から勉強にスポーツに恋愛に活躍してきた将来有望な若者で、みずからが詐欺的な人格であることに苦しめられており、精神分析にかかっている。じぶんはほんとうに優れた、愛されるべき人間ではないのに、そうみられるようなふるまいを戦略的にとることで、周囲にそうおもわせているだけなのだ、かれはそうおもっていて、みずからの問題の解決のために、精神分析だけではなく瞑想教室やカリスマ派教会などいろいろなものも試してみたが、けっきょく意味がなかった、瞑想教室ではほんとうのマインドフルネスをかんじることよりも、インストラクターの東洋人や周囲の受講生にアピールするためだけに耐えがたい苦痛に耐えながら瞑想を続けることしかできなかったし、カリスマ派教会では異言らしきものをわざと口にし、打たれてすらいない聖霊に打たれて失神したフリをした。精神分析ではじぶんがじぶんじしんの問題に気づいていて、それを真剣に告白することで問題に対処しようとしている、というフリをすることで精神分析医の上位に立とうとする。しかし、詐欺師はじぶんがじっさいに詐欺師であることをどうすればひとに伝えられるのか? ひとにしょうじきにみずからの不可避的な詐欺師性とその悩みを伝えられるなら、そのひとはもはや詐欺師ではないのではないか?

 ニールはしかしこの悩みを、みずからが「とくに詐欺師的で空虚な人格であった」せいでそうなってしまったと考えていたが、それすらも事実ではなかった。ある眠れない夜ニールがテレビをザッピングしていると、むかしのシットコムが放送されていて、登場人物の精神科医が、まさにニールの抱えているような悩みはアメリカ人によくある悩みにすぎない(「いかに他人を愛せないかっていってわたしに泣きつくヤッピーがもうひとりでも入ってきたらお手上げだったわよ」)とジョークを述べ、観客席から笑いが起こる。ニールはこの瞬間に自殺することを決心した。

 物語ぜんたいは、こうして睡眠導入剤オーバードーズして車を暴走させて橋に突っ込んで自殺したニールが、みずからの人生を振り返り、そして、死の瞬間と死後の世界がどのようであるか、死後の世界から語るという形式をとっている。

 

 面白いのは(ちょっとネタバレになるが)この物語の視点がとつぜん移動するところだ。そこまでは、いってしまえば、自殺した男の乾いたユーモアで読ませる泣き言だったのが、詐欺師についての詐欺、自己言及についての自己言及、入れ子フラクタルになってしまって、この小説の扱うテーマがかなしいことに再帰構造を認識できるようになってしまった人間の悲哀であることをかんがえると、とくにかなしくなってしまった。

 メルヴィルの『信用詐欺師』やベルンハルトの『消去』のように、一度述べたはずのことを接続詞や関係代名詞に導かれる冗談みたいに息の長い従属文で裏切り、その陰で『人間失格』のように虚飾に気づかれることを恐れている、自分のことをきわめつけにからっぽだとおもっているが、そうおもわせないことにだけやたらと長けたインテリもどきが読むとこれアタシだ……となってしまうが、それこそがこの病気の陳腐さ、クリシェにすぎないのだ。こんなブログを読んでいるたぐいのみなさんにはとくにお勧めします。

 

2. Good Old Neon について(もうちょっと細かく)

こんど書きます。

書きました。

*1:えらいひとがみっちりとした書評を残してくれている。Infinite Jest by David Foster Wallace 桑垣孝平 - 戸山翻訳農場 ありがたいことである。われわれはこういうのを読んで IJ を読んだ気になるのがいいとおもう。

*2:たとえば「項番 6. 自撮りを取り、『偶然』本を背景に映り込ませる。SNS に投稿する。まばゆいばかりのコメントに「デカいのがちょっとね」と返信する。」とか。