Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

去年書いた小説について (1)

 去年はむっつも小説を書きました。えらい。うちいつつはアイドルマスターシャイニーカラーズの二次創作です。二次創作は生まれてはじめてやった(ちょっと嘘)んですが、原作パワーかいつもよりみんなが読んでくれてうれしかったです。

 

 ところで小説のあとがきとか自作解題のたぐいがわたしは苦手で、というのも、書くべきことがあるならそれは小説のなかに書かれているべき、読み取れるようになっているべきであって、あとからごちゃごちゃいう必要があるようならようするにそれは失敗作にすぎない、という、ちょっとケッペキすぎる信念があるからなんですが、じゃあなんでいまからそれに類するようなことをしようとしているのかというと、コミュの感想をおもいついても、ツイッターとかで書くより小説にしようと思ってメモ帳に秘蔵してしまうせいでまったく感想をいえてないのがやや悲しいというのと、まぁあとはたんじゅんに結構書いたものに愛着があって、やっぱり愛着があるものについてはちょっとくらい話したいというのがおもな理由です。

 というわけで、以下で書くのはわたしが書いたものについてというよりも、わたしが原作のどういう部分をみてああいったものを書くにいたったかという、生成についての話になると思います。

 また、もちろんこんなのはたかだか書いたにすぎないひとがいっているたわごとなのであって、もし小説そのものを読んだひとが――もし――なにか感じたところがあったなら、それが無条件に正しく、尊重されるべきであると思います。

 前置きが長くなりました。それでは妄言が続きます。

 

 

シャウト・イット・アウト・ラウド

 キャプションに書いたとおり、【Re:BIRTH】市川雛菜で円香が着ていた T シャツに「Shout it out loud」と書いていたのが諸悪の根源です。あっ円香って(古臭い)洋楽とか好きなのかな~ていうか円香ってノクチルの歌好きそうじゃないよな(すみません)~とかそういう妄想が止まらなくなりました。

 いまでこそ(というのは、【ピトス・エルピス】が出たあとということですが)円香が歌を自己表現における軸として捉えているのはほとんど自明のことになりましたが、これを書いていたころ(八月半ば~)はまだそこまではっきりとは明かされていなくて、でもやっぱり音楽は好きなんだろうなという描写はあちこちにありました。W.I.N.G.「心臓を握る」の「私……泣きませんので」がサイモン&ガーファンクルの引用じゃないとはとうてい思えませんし*1、【雨情】「場面・鳴」で吹奏楽部の練習に文句を付けていましたし、ファン感謝祭「然るに受信」ではプロデューサーが SNS で歌について褒められていたと報告したことに対して、まだ満足していないようなそぶりをみせていました。【ギンコ・ビローバ】「噤」で映画に対して批評眼をみせたあとに「映画が好きなのか?」と訊かれて否定するシーンは、〝ほかに〟好きなものがあることを仄めかしているようにしか思えませんでした。休みの日に寝ずに何かをやっているというのも(Morning ⑩ および「アイドルとの約束 - 休み」)音楽関係のなにかだったらいいなと思いましたが、ここまでいくと妄想ですね。ということで話はどうしても音楽関係でまとめることになりました。

 また、円香は垂直方向、上昇方向への移動に恐怖心、というか畏怖心を抱いています。W.I.N.G. 敗退コミュの「飛べなかった、でも飛ぼうとした」がいちばん印象的ですが、G.R.A.D. がエレベーターで「上昇」するシーンからはじまって「下降」するシーンで終わるのも示唆的です。どこかのジャングルジム野郎とは大違いですね。

 そんな円香がじゃあいったいどうやって進んでいこうかと考えているかというと――やはり「エンジン」ということになると思います。エンジンのモチーフは【カラカラカラ】の TRUE END でかなり直截に表現されましたが、ようするに円香はプロデューサーというエンジンを信頼してよいかどうか訝しんでいるんですよね。高燃費、お疲れ様です。

 というようなことを考えていたらあんなかんじになりました。

 

 

レオパード・ゲッコー

 摩美々ってなんかいまとなってはアンティーカのみんな大好き、プロデューサー大好き、人のことを思いやれるいい子、悪い子とか自称しちゃって(笑)みたいな扱いしかされなくなってませんか? ていうかなんかもう公式でも近頃はそんなかんじで、まぁそういう摩美々もきらいじゃないしそれはそれでいいんですけど、わたしが摩美々を好きになったのは*2やっぱり摩美々がタチの悪い子だからで(【裏腹あまのじゃく】とかけっこうちゃんとタチ悪いじゃんね)、その悪さというのが、彼女じしんが彼女を持て余しているところに由来するからなんだと思います。

 ところで摩美々ってすごいファッションしてます。ピアスの数ヤバいし、露出もすごいし、これで夜の街を歩いてるのってまぁいろいろな意味で危険だし、あと純朴なオタクくんたちからしたら恐怖の対象だと思います。といってもこのファッションやスタイルを摩美々が獲得したのって必ずしも一から十まで望んでということではなくて、やっぱりさいしょは――母親の気を引くためだったと思います。【パープル・ミラージュ】「PURPLE」ですね。でもそれをただの反骨のための手段から、生き方という目的に変えたのが摩美々なのであって、また、それこそが摩美々がアイドルとしてファンから支持を受けている理由で、だからこそ摩美々は「目的」を見失うことに強い忌避感を覚えるんだと思います。摩美々の目的論(あるいは目的を持てないことについて)はいろいろなところで語られていますが、とくに G.R.A.D. がまるまるその描写に当てられてて興味深いですね。

 さて、摩美々がリスキーなファッションやライフスタイルを選択した理由の半分は上記のように母親との関係が背景にあると思います。もう半分は——幼少期のトラウマがあるのかな、と思いました。というのも根拠がゼロなわけではなく、

korokoro514.hatenablog.com

上記の記事で著者のサンドパン氏は【FANCY 24g】のアイドル衣装の背景に描かれている蝶は「幼虫時代に毒を獲得する」という共通点を持つことを指摘しています。かなり良い記事なのでぜひご一読を。

 じゃあ摩美々が幼少期に獲得した毒、トラウマというのはなんなんだ――

「じぶんを大事に」することに真剣になれないそのようすは、なんらかの性的なトラウマをやはり想起させます。といっても摩美々じしんにというよりは、おそらく摩美々のせいで、なにか重篤な、性にまつわる失敗をしたのではないか――かなりひねくれた想像ですが、そういうわけでああいう幼少期のエピソードをねつ造しました。あまりにも自覚的にみずからの魅力を磨きながら、その魅力をまるで無価値なものであるかのように扱う天邪鬼さは、そういう経路でしか作られないような気がしたからです。ぐうぜんヒョウモントカゲモドキに詳しくてよかったです。嘘です。めちゃくちゃ大量に資料を買い込みました。

 

 

 

 

 なんだか予想以上に疲れました。のこりはまた後日やります。

*1:サイモン&ガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」には「私は岩、私は島。岩は痛みを感じないし、島はけして泣かないから」という歌詞がある

*2:アイドルのなかでいちばん好きなのは摩美々。