Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

人称代名詞と文法的性について

「つぎのようなシーンを考えていただきたい。ある博士がお昼ご飯を選ぼうとして食堂のメニューの前に立っている。彼女は昨日の晩ご飯がハンバーグだったことを思い出し、きょうは魚にしようと考えた。さて、このとき……」

 論文を読んでいるとうえのような文章に出くわすことがある。ここで問題なのは三人称代名詞「彼女」だ。「ある博士」の性別は決まっていないのだが、「ある博士」を三人称代名詞で表示するとき「彼」と「彼女」のどちらかを選ばなければならない。この文章の書き手はなにを考えて「彼女」を用いたのだろうか?

 冒頭の文章はある種の思考実験だが、ここで「ある博士」の性別は論旨にまったく影響しない。そういった場合、"ふつうは"「彼」を用いるだろう。おそらくこの文章の書き手は、その "ふつう" を忌避している。性が不明な*1 unknown あるいは不特定な*2 unspecified ものを呼ぶときにもっぱら「彼」を用いるのは、言語における男性中心主義を反映しているとの想定からだ。そういうわけで、こういう書きかたをする著者は「彼」と「彼女」を交互に使おうとする*3。冒頭のような文例は、それで「彼女」を用いたときに現れる。

 わたしが考えるに、この方法には複数の問題がある。

 

1. 性が不特定であったはずの存在者に性が付与されてしまうこと
2. 「彼」「彼女」の二分法に収まらないノンバイナリーな性自認をかえって排除してしまうこと
3. 日本語の「彼」はそもそも性について中立 gender-neutral な三人称単数代名詞として用いることができること
4. 上記のような gender-neutral な「彼」の用法を認めない場合であっても、主語を省略したり、「ある博士がお昼ご飯を選ぼうとして食堂のメニューの前に立っている。博士は昨日の晩ご飯がハンバーグだったことを思い出し、きょうは魚にしようと考えた。」などと、おなじ名詞を繰り返すといった方法で上述の問題をすべて回避できること。

 

 1., 2. については説明はいらないだろう。

 3. について。日本語の人称代名詞「かれ」は明治時代ごろまで男女に共通して用いることができた。「彼女」は、英語など文法的性を区別する印欧語の翻訳過程で造られた新語である。

 とはいっても、現代日本語においては「彼」が男性を、「彼女」が女性をもっぱら示すのは明らかであると考える日本語話者もいるだろう。その場合は 4. のような手段を用いればよい。

 

 ところで、こうしたポリティカルコレクトネス的過剰修正は英語でもよくある、というか、冒頭から示してきた日本語著者のこうした戦略は、おそらく英語文化圏での実践を反映して行われている。

 性が不明/不特定な存在者を三人称単数で表示する場合、一部の英語話者は

 

5. he/she, he or she などの表記を用いる
6. they を三人称単数として用いる
7. xe/ze/hir... などの造語を用いる

 

 などの方法を用いる傾向がある。しかし、これもいろいろの問題がある。

 5. の問題点は 2. におなじ。

 6. の問題点は、singular third person の they が文法上複数形のようなふるまいをするところにある。文脈から単数の they であることが明らかな場合であっても、動詞は are を取るのだ。文法上の性を表示しないようにすることでかえって単複の区別が崩壊するのは、支払うコストにメリットが釣り合っていないように思える。

 7. の問題点は、こうした造語とその格変化が現代英語の一般的な語彙になっていないことに尽きる。伝わらない言葉には意味がない。

 どうやら英語のほうが解決は困難なようだ。構文上義務的に主語を必要とする英語では、主語を省略するのは難しいだろうが、同じ名詞を繰り返すなどの方策は可能だろう。しかし、日本語でおなじことをするよりやや不自然に感じられる。じゃあ日本語の「かれ」とおなじように、"he" は gender-neutral にも用いることができる、と押し通すか?

 いままでの英語はそうしてきたわけで、それで問題ないようなきもする。しかし、"he" が語源からして男性性を有するわけではないとはいっても、文法的性(英語にも昔は文法的性があった)の区別と分かちがたく結びついているために、それが男性名詞と認識されることは疑いようもない。そもそも文法的性が存在しない言語である日本語の「かれ」と同列に扱うわけにはいかないだろう。

 

 とはいえ、スウェーデン語は gender-neutral な三人称単数代名詞 "hen" をある程度実用することに成功している*4ではないか*5といわれるかもしれない。だから、英語でも xe やら ze やらのうち、いずれかが人口に膾炙することが不可能なわけではない、とも。それも間違いではない。

 じゃあ、かりに xe が英語圏で覇権を握ったとしよう――しかし、たとえば、イタリア人はどうすれば?

 いまや文法的性を文法的範疇としてはほぼ失っている英語や、男性と女性が共性に融合したスウェーデン語では、新しい代名詞を造語して、いままで he や han がいたところに xe や hen をぽんと投げ込んでしまえば文法上問題がない。

 イタリア語ではこうはいかない。

 イタリア語の三人称単数代名詞は男性で «lui», 女性で «lei» だが、たとえば gender-neutral な代名詞として «ləi» のような形が発明されたとしよう*6。イタリア語では形容詞にも男女があって、修飾される名詞の性に応じて形を変えるが、«ləi» にはどちらの形容詞をつければよいのだろうか?

 名詞や形容詞の曲用だけではない。動詞の活用にも性は影響する。イタリア語の場合、essere を用いて作る近過去では過去分詞が性に応じて変化するが、«ləi» にはどちらの過去分詞を用いればよいのだろうか? べつに話はロマンス語に限った話ではない。スラヴ語の過去時制も同様に性と一致を起こす。

 ここで、新しい代名詞は男性名詞として曲用したり、動詞の活用を一致させたりするとしてしまえばなんの意味もないだろう。だからといって、代名詞を新しく作ったのだから、曲用や活用のパラダイムも新しく作ってしまえばいいではないかというのも無理がある――ていうか、できるわけがない。

 

 文法的性を有する言語が世の中には数多くあって、しかもたいていの場合男性性が無標で表されており、そのことはその言語を使用する社会の男性中心的価値観を反映している――こういった見方に一定の説得力がないわけではない。he に "わざわざ" s を追加したものが she であって、man に "わざわざ" wo を追加したものが woman なのだ、というわけで。 また、性別が分からない場合にとりあえず男性名詞を用いるというのも(これもまた無標性だが)男性中心的だ。そして、人間を表す代名詞が男性と女性のふたつに区別されるのはノンバイナリーを無視している。すべて重要な指摘だろう。

 そしてまた、ジェンダー平等がきわめて重大な理念であることも間違いないだろう。

 だからといって――言語がある社会のものの見方を反映しているからといって、言語をちょちょっと改造すれば社会も変わると考えるのは、少々安直に過ぎる。前述のように、誤解を招いたり、意図が通じない場合がある(1., 6., 7. のように)という意味で、学術的なシーンにはふさわしくないだろうし、崇高な理想のもとになされた書き換えがかえって差別的に響く(2. のように)場合もある。そもそも、既存の方法ではこういった改造に適しないほど文法に性が食い込んでいる言語もある。

 もちろんこうした言い換えが有効になるシーンはあるだろう。まさにジェンダー平等の観点が問題になっているときだったり、当人がそう呼ばれたいと思う代名詞を表明したりするときだったり。そうでなくともスウェーデン語の hen のように膾炙した代名詞があるなら、それを性が不明・不特定な対象に用いることには問題が少ないだろう。

 しかし、そうした文脈にあるわけではない文章で、わかりやすさ、正確性を犠牲にしてまで、ただ代名詞をいいかえたり、数の上で平等を図ったりといったことに、なんの意味があるのだろうか?

 言語はわれわれのものの見方をあるしかたで反映しているが、われわれのものの見方のみによって決定されているわけではない。その内的な構造や整合性、経済性はさまざまな要因によって決定されているし、それを無視した下手なやり方を採用するのは、いかにそれが崇高な理念のもとにあるといっても悪手だろう。われわれは言語を使っているのではなく、言語に使われている。その制約を英雄的に無視しようとするのであれば、もうちょっと理論武装したほうがいい。

 というわけで、よくよくものごとを考えることをせず、こうした問題点をまったく自覚することなく、たかだか代名詞をいいかえるだけのことでなんらかの態度表明をしようとするのは、わたしにはあまりに安上がりで浅はかなことのように思える。

*1:自然人やフィクションのなかの登場人物のように、ほんとうは(agender でなければ)性別があるのだが、さしあたってそれが話者にわかっていない場合。

*2:冒頭の文章の「ある博士」のように、そもそも性別が規定されていない場合。

*3:安藤馨とか成田和信とか高崎将平がやっていた。

*4:もちろん反対派は昔は多かったし、いまでもいないことはないが、いまや Dagens Nyheterスウェーデンでいちばん有名な新聞)の見出しでも使われてるらしい。

*5:ちなみに、スウェーデン語の三人称単数男性代名詞は "han", 女性は "hon".
"hen" はフィンランド語の "hän" を参考に作られたらしいが、フィンランド語の三人称単数代名詞 "hän" は男女を区別しない。おなじくフィン・ウゴル語派のエストニア語、ハンガリー語でも三人称代名詞に男女の別はない。印欧語でもペルシャ語は区別しない。ジェンダー平等を形式的に気にするひとは、この辺の言語とかテュルク系諸語とかで論文を書けばよいのではないか

*6:ləi - Wiktionary どうやって発音するんだよ。