Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

ヤスミナ・カドラ『カブールの燕たち』

 

  ブックプラネット全部読む第 2 弾

 

 كابلがカーブル表記じゃないと全身がムズムズしてくるが、フランス語だと Kaboul なんですね、じゃあカブルの燕ですか*1? まぁそれはどうでもよくて、アルジェリア軍の上級将校をやりながら妻の名前で覆面作家をやっていて、正体を明らかにしたときは衝撃が走ったという経歴の持ち主であるヤスミナ・カドラが、イスラム原理主義タリバン支配下アフガニスタンを舞台に書いたのが本書である。

 カドラはほかにも原理主義を扱った小説を書いていて、『テロル』はおなじくハヤカワ epi ブック・プラネットから邦訳がある。未訳の Les sirenes de Bagdad と合わせて三部作を構成するらしい。『テロル』はパレスチナLes sirenes de Bagdadイラクが舞台で、みずからの出身であるアルジェリアの問題は避けているのか? ともおもわれていたようだが、ついに『昼が夜に負うもの』ではアルジェリアを扱った。これもブック・プラネットから邦訳がある。

 

『カブールの燕たち』はターリバーン支配下のカブールに暮らす二組の夫婦を描いている。

 死刑囚を収監する拘置所の看守であるアティクは、重い病に冒された妻ムサラトのことでおもい悩んでいる。友人は離縁を勧めるが、ムジャーヒディーン時代の命の恩人である妻を捨てることなどできそうもない。
 零落したエリートのモフセンは広場で行われた売春婦の公開処刑でふだんの――あるいはいままでの――自分からは考えられないような行動をとってしまう。処刑に先立って用意されていた石を手に取って、女にむかって投げつけたのだ。この呵責を妻ズナイラに打ち明けたことで、夫婦の関係は決定的に変わっていってしまう。関係改善のために、タリバンが女性に強要するチャドリ(全身を覆うローブ。肌や髪をみせることを忌避するイスラーム圏での女性の衣装。)をきらって外出しようとしないズナイラを、モフセンは無理に外に連れ出そうとするが……。
 

 

 
 わざわざ「続きを読む」に回したことから察せられるだろうが、この作品はネタバレに弱い。ネタバレされてなお価値を失わないとかそういうたぐいの小説かというと――あんまり自信はない。


 出版社の出してるあらすじにある、アティクが救おうと奔走する「美しい女囚」とはつまり、口論のすえにモフセンを誤って死に至らしめてしまったズナイラのことなのである。

 そして、ズナイラを助けるためにムサラトは「驚くべき提案」をしたが、それは自分が身代わりになるということであった*2

 この入れ替わりトリックを成立させたのはチャドリだ。チャドリのベールの向こう側にだれがいるかなんてだれもきにしない。死刑囚が入れ替わったところでだれもきづかない。ズナイラの自尊心を傷つけていた当のチャドリがトリックの核となってズナイラの命を救うことになるのはさすがに一流のアイロニーといわざるをえないが、えっ、ようはミステリがやりたかったんすか? となってしまう、というのが正直なところ。カドラのデビュー作はそういえばミステリだったらしいし、『テロル』はダガー賞取ってるらしい。

 たとえばこれが「女囚の死刑を執行したら死体はまったくの別人だった――どうやって入れ替わったのか?」というミステリとして書かれていて、その謎を解いていく過程で二組の夫婦の事情やムサラトの自己犠牲が明らかになるんだったら読後感はまたちがったのかもしれない。ミステリ読者ってなぜか戦時下って設定を使ったミステリとか自己犠牲が動機のミステリだと無条件にほめる傾向があるし……。

 まぁそれはともかく、見せ方の問題は別として、けっきょくこの小説はどう始末がつくのかというと、ムサラトの自己犠牲にもかかわらず、逃げおおせたズナイラはアティクの前に姿をみせないし、アティクはなかば発狂して街中の女のベールをめくって、しまいには殺されてしまう。チャドリのトリックで人間は欺くことができても、アッラーを欺くことはできないのである。救われたのは愛する夫が――それが自分ではないとしても――真に愛するひととついに出会えたとおもったまま、病の苦しみを逃れるように死ぬことのできたムサラトだけだろう。

 芯となるべきアイディアがひとつならもっと短めの中編でよかったのではないかとか、原理主義者の支配下における女性を描いているようにみせかけておきながら、ムサラトやズナイラの内心の描写が欠如していて、結果的に男(アティク)の目の前にタイプの違うふたりの女が現れて、やがて皮肉で辛辣な結末が訪れるという、徹頭徹尾男性目線の物語になってしまっているという欠点はあるにせよ、扱っているテーマの深刻さや作品全体の倫理的な響き自体は否定しようもなく、こういう、素材の良さを調理が完全に引き出せていない例をみると、小説ってなんて難しいんだみたいなきぶんになってしまいますね。『テロル』もホワイダニットっぽいあらすじだが……。

*1:以下固有名詞は本書中の表記に準拠。でもタリバンはターリバーンだろ!

*2:ところでみんな「結末はさいしょの方でわかった」っていってるけどマジですか。わたしはぜんぜんきづかなかった。