Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

パオロ・ジョルダーノ『素数たちの孤独』

 

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)
 

  ハヤカワ epi ブック・プラネットという海外文学の叢書がかつてあって、2007 年から 2010 年のあいだに 16 冊刊行して終わった。名前からして明らかなようにハヤカワ epi 文庫の姉妹編みたいな枠だったんだとおもう。とつぜん 16 冊なら手ごろだし全部読むかみたいなきぶんになったので読んでいきます。『観光』だけ前に読んだことあるけど。

 さいしょは『素数たちの孤独』。これは epi 文庫に入った。ちなみにブック・プラネットで epi 文庫に入ったのはこれと『観光』と『バルザック小さな中国のお針子』 とカーレド・ホッセイニ

 

 

素数たちの孤独』の作者パオロ・ジョルダーノはイタリアの作家で、大学で素粒子物理学の博士号を取って、ようするに文学系の畑の出身じゃないわけだが、処女作のこれがいきなりストレーガ賞を取った。イタリアでは 200 万部売れたらしい。イタリアの人口(6,000 万人くらい)を考えるとけっこうなもんである。日本だったら 400 万部くらいになるが、これは『世界の中心で愛を叫ぶ』レベルということになる(2004 年時点で 321 万部だったらしい、いまどのくらいかはわからない)。で読んでみたらまぁセカチューみたいな読後感だった。

 幼少期に知的障害を持つ双子の妹を公園に置き去りにしてしまい、その結果妹が行方不明になってしまったという過去からリストカットをするようになったマッティア(数学の天才らしい)。

 スキー中の事故で足が不自由になり、多感な少女時代をうまくサバイブすることができなかった拒食症のアリーチェ。

 心に闇を抱える二人は高校で出会い、惹かれ合うが、運命のめぐりあわせかふたりの人生が交差することはなく、アリーチェは母親の入院している病院の医師と結婚し、マッティアは北欧の大学で研究を続けることになる。

 マッティアが北欧で童貞を捨てたり数学上の大発見をしたりなんやかやするいっぽう、アリーチェは結婚後も拒食を続け、それに起因する不妊症で夫とトラブルになる。ぐうぜんマッティアに似た女性をみかけたアリーチェはそれがマッティアの妹なんじゃないかとおもっていてもたってもいられなくなり、マッティアに手紙を送る。マッティアはイタリアにとんぼ返りしてうんぬんかんぬん。

 

 なんだかなあ~。書かれている痛みや孤独はたしかにどういうものだか理解できる、ご都合主義のハッピーエンドというわけでもない、だからといってものわかりよく褒めておけばいいやというきぶんにはなれないのである。

 ムカつくのがアリーチェの夫のファビオで、かれが物語に登場するのはちょうどマッティアとアリーチェのすれ違いがはっきり確定する*1直前であり、これはようするにファビオの役割は「敵」なのである。

 わかりやすくいうと、この小説ではスポットライトのあたるマッティアとアリーチェだけが人格を備えた人間で、ほかの登場人物はこのふたりの関係がすんなりうまくいかないようにするためだけにパチンコ台に植え付けられた釘みたいなもんなのである。読者がこの小説を読み進める動機はこのふたりの抱える問題がじぶんのことのように思えるからではなくて、どうせさいごにはくっつくであろう(と読者は想定している)ふたりが、都合のいいタイミングで喧嘩したりほかの人間と恋愛関係に陥ったりして、適度に緊張感を持たせてくれるからなのだ。

 もちろんそれが悪いというわけではなくて、というか読者の興味を引くためにそういうことをするのはあたりまえなのだが、けっきょく読み終わったあとに残ったのはこの小説ってこういう映画のシナリオみたいな感情操作ばっかりだったなという虚しさだった。かなり好意的に登場人物にこちら側から感情移入してやればよかったんだろうが、そうするにはあまりにも筆致が淡白すぎたし、というか、マッティアの視点のあまりに空疎なところをみると、エゴイスティックに孤独を選択した人間の苦痛ってそもそも書くことなんてあんまりないのかもしれない、ただただ孤独なだけ、終わり、そうなってしまうからだ。

 個々のシーンに美しいものがないわけじゃない*2し、文章はかなり流暢で、社会的なテーマへの目配せが欠けているわけでもない、そういう意味ではどこにでもいる平均的に孤独な人間であれば*3まぁまぁ満足して読み終われそうだが、それでもなんとなく登場人物に容赦なく愚かさや欠陥を盛り込む度量だとか、極めつけに皮肉なものの見方からやっとにじみ出てくる人間存在への愛だとか、そういうのがないと満足できない体になってしまった、いやこれは直前にフランゼン読んでたからかもしれないが……。

*1:マッティアが北欧の大学からのオファーを受けて、行くべきか悩んでいると相談されたアリーチェは、わたしのことなんてどうでもいいんでしょ、行けばいいじゃないという態度を取ってしまう。

*2:高校の女子トイレでアリーチェが刺青を入れてしまったことを後悔して、体を傷つけることになら慣れてそうなマッティアに頼んで削り取らせようとするシーンだとか、ファビオの家にはじめて招かれて夕食を食べるアリーチェが、食べきれなかったトマトをこっそりトイレに流そうとして詰まらせてしまうシーンはとてもよい。医者のくせに拒食症を自分の正常な世界観に対する挑戦としてしか捉えられないファビオはどうなのとおもわなくもないが夫婦喧嘩のくだりは筆致がこの小説の中でもとくにねばついていて悪くない。

*3:海外文学なんか読んでるやつは全員孤独。