Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

『めぞん一刻』(あるいはやきもちのパラドックス)について


0. 導入

 やきもちはラブコメの華です。やきもちを妬いているキャラクターをわれわれは好みますし、物語を作る側からしても、ただ相思相愛なだけでは起伏しにくい恋愛物語に展開を作ることができて便利です。また、やきもちを含む物語では、順調な恋愛関係では描けない種々の感情を表現することもできるでしょう。

 こうして――現代ではどちらかといえば傍流に追いやられてしまいましたが――ラブコメとその読者は、やきもちと、それを実現する装置としての三角関係をこよなく愛用してきました。

 高橋留美子初期の傑作ラブコメ、『めぞん一刻』においてもやきもちは大活躍します。きょうはこのラブコメとやきもちの関係についてちょっと書きたいと思います。

1. 定義

 その前にまず本稿における*1「やきもち」を定義しましょう。英語では日本語の「嫉妬」に当たる単語として "envy" と "jealousy" が挙げられますが、「やきもち」は "jealousy" のうちのある種のものに相当します。

 では、"envy" と "jealousy" はどう違うのか。

 ねたみ envy他者が持つものに対する羨望の気持ちです。たとえば、あなたと同年代の友人がなにか稼ぎのいい職業についていたとして、かれ/彼女がついにベンツを購入することに成功したとしましょう(あなたも車が好きであるということにします)。このときあなたが感じる感情がねたみです*2

 やきもち jealousy は、語源的にいえば競争相手を想定した熱狂の感情です。そこから派生した、もっとも歴史的かつ典型的な用法が、こんかいの主題でもありますが、恋愛関係におけるやきもちです*3。jealousy のコアなニュアンスは、envy における、相手の所有するものに対する羨ましさとはぎゃくに、みずからの所有するものを失うことに対する恐怖です。

 そういうわけで、あなたは、じぶんの妻が、オンライン呑み会のあとに会社の後輩男子と個人的な通話を何十分かしているのを目撃したとき、妻に対してやきもちを抱くでしょう。

 また、あなたがいくらデイヴィッド・ベッカムを愛していたとしても、ヴィクトリアとの仲睦まじさをもって、デイヴィッドに対してやきもちを抱くことはできません。デイヴィッドはあなたに対してなんの感情も抱いておらず、というか認知しておらず、あなたからなにかを奪うことができないためです。ヴィクトリアに対してねたみを抱くことはできるかもしれませんが。

 ようするに、たとえ片思いであっても、すこしでも会話をしたことがあって、相手からなんらかの認知やレスポンスを期待していい状況であればやきもちは成立しますが、まったく無関係な相手に対してはやきもちは成立しません。

 ところでいまさらっと書いてしまいましたが、あなたがやきもちを抱く対象は妻であって、妻の会社の後輩男子ではありません*4。なぜかといえば、あなたに対する愛情を奪う(あるいは停止する)権能はあくまで妻にあるのであって、後輩男子はそれを誘発することができるだけだからです。

 ということでここでやきもちの三角関係について追加で用語を定義しておきましょう。やきもちを妬く主体のことを J (Jealous), やきもちの対象となる恋人(や片思いの相手)のことを L (Lover), やきもちの触媒となる第三者のことを K (Katalyst) とします。

 たとえば、夏目漱石の『こころ』でいえば、先生が J, お嬢さん(静)が L, K が K になります。簡単のために、以後はこうした三角形を (J → L; K) と表記することにしましょう。(先生 → お嬢さん; K) みたいなかんじですね。

2. やきもちの効用

 ところでこういった「やきもち」にはどういった効用があるのでしょうか。冒頭に述べたように、やきもちを妬いているキャラクターはかわいいし、物語に展開を作りやすくなります。そういうことではなく、人類にとってやきもちはどういう意味を持つのでしょうか。

2.1 進化論的効用

 やきもちの主たる効用のひとつめは、みずからの子孫(遺伝子)を残すという目的に対して働きます。

 いっぱんにやきもちには男性的なやきもちと女性的なやきもちがあるといわれています*5。男性のやきもちは、女性が肉体的にほかの男性によって奪われるという想定に対して強く働くようです。翻って、女性のやきもちは、男性の心理的、経済的、時間的リソースがほかの女性によって奪われるという想定に対して強く働くようです。

 これは、どちらもみずからの遺伝子を効率的に残す、という観点から進化的に説明可能です。オスにとってはほかのオスによってつがいのメスが妊娠させられること(、かつ、気づかずにその子を育てさせられること)がなによりのリスクです。メスにとってはみずからの子がみずからの子であることは明らかなわけですが、養育にかかるコストをつがいのオスが負担しないというリスクがなにより大きいでしょう。

 こうして、適度に嫉妬深い個体が進化的にアドバンテージを得て子孫を残してきました。

2.2 心理学的効用

 というような進化論的効用によってふつうやきもちの意義は説明されるようです。といっても、やきもちの効用がそれだけだとはおもえません。

 あなたも人間ならやきもちのひとつやふたつ妬いたことがあるとおもいますが、そのときの感情を思い出してみてください――もし進化論的な説明がすべてだとしたら、あなたが取る行動は、K に対する攻撃か、L に対する、K から距離を置いてくれ、などの説得、懇願などになるはずです。でも、そんな修羅場はたいてい起こりません。やきもちを妬いたときのわれわれの反応の多くは、逃避です。

「あんたがそないはっきりせん態度取らはるんやったら――もうしらん、どうでもええわ」っていうことですね。

 なぜそうなるかというと、やきもちはたいてい強烈な心理的負担となるからです。それを解消するために攻撃や懇願というさらなるコストを支払うだけの価値がその愛情にあるとみなされなければ、われわれはやきもちの原因となった愛情を減価することで心理的負担から遠ざかろうとするでしょう。

 やきもちという感情のおかげで、われわれは、望みのなさそうな恋愛や、すでに子を育て終わったあとの夫婦関係といった、あまり価値のない感情を維持するために無駄なコストを支払うことから適切に距離を置くことができます。これがやきもちの心理学的効用です*6

3. ラブコメとやきもちのパラドックス

 しかし、前節の検討の結果が明らかにしたのは以下の事実です――愛情ゆえに起こるはずのやきもちが、その当の愛情をすり減らしていくことがある。つまるところ、ある種のやきもちはネガティブフィードバックなのです。

 なのに、ラブコメはやきもちを多用します。ここにラブコメとやきもちのパラドックスがあります。愛を表現するためにやきもちを多用すると、かえって J がそんな L に耐えていられることの説明がつかなくなってしまうのです。

 というわけで、すぐれたラブコメはこのパラドックスの解消に工夫を凝らします。『めぞん一刻』においてこのパラドックスの解消がいかになされているか――前置きが長くなりましたが、以下で検討したいのはこのことです。

4. やきもちの正当性について

 ところでやきもちには正当性を定義することができます。

 やきもちの正当性は、J と L の関係が社会的、心理的に公認されているほど、そして、L と K の関係が取るに足らないものであればあるほど強くなります。たとえば、ある三角関係において、

・J が L に愛を明示的に伝えていた場合
・L から J に対して、その愛を受け入れるような宣言がなされていた場合
・K が L からの愛をとうぜんに期待していいような相手ではないとき

 に、このやきもちはもっとも正当なものになります。

 ぎゃくに、

・J が L に愛を伝えていない場合
・L から J に対しても好意の表明や示唆がなされていない場合
・L と K の関係が社会的、心理的に公認されているとき

 に、このやきもちはまったくの不当なものとなります。

 もっとも正当なやきもちは、さきに説明した進化論的効用の観点から長生きしません。そのやきもちは正当なものなのですから、J からは即座に L と K に関する疑義が提出され、肯定的か否定的かどちらかはわかりませんが、L からの回答をもって解決に至るでしょう。

 いっぽう、まったく不当なやきもちは心理学的効用のほうから解消されてしまいます。思いも伝えていない相手、まったく脈のない相手に対して、そして、じぶんより優れた、あるいはステディな関係にある恋敵がいることにやきもちを抱いたところで、それはもはややきもちというよりは横恋慕ですし、すぐに鎮火してしまうでしょう。

 というわけで、やきもちを長期的に物語の原動力としたいとき、ラブコメ作家は長続きするやきもち/三角関係を構築しなければなりません。正当なやきもち、不当なやきもちはどれも長生きしないことを上で示しました。であるからには、ここで求められているのは中途半端なやきもち、中途半端な三角関係です。ある種のうしろめたさに支えられたこれを、うしろめたいやきもちと呼ぶことにしましょう。登場人物たちはやきもちを妬きますが、その感情が抑えがたくもどこかうしろめたいものだと思っているからこそ、それは長続きするのです。

 どうしてもやきもちを妬いてしまう本能と、じぶんにはやきもちを妬く資格なんてないという卑屈な自覚の同居。『めぞん一刻』の技術的な美点は、このうしろめたいやきもちの作り方と魅せ方にあります。

5. 諸三角関係について 1

 ここからようやく作中に登場する三角関係をみていきましょう。およそ時系列をなぞっていく予定です。

5.1 (五代 → 響子; 惣一郎さん)

 物語でさいしょに導入されるのがこの三角関係です。この三角関係はどのくらい正当なものでしょうか。

 五代から響子さんへの愛は物語の初期からかなり明白に伝えられていますが、酔ってなされた告白は当人の記憶にすらありません。響子さんはそのしらふでない状態でなされた告白をもちろん受け入れていませんし、まだ惣一郎さんに対する操を立てています。惣一郎さんの K としての身分、響子さんから愛される資格は、夫であるという点でいえば五代よりよっぽど強力で正当なものですが、死者であるという観点からすれば弱いものでしょう。しかし、死者であるというまさにそのことで、かえってないがしろにできないという属性も備えています。

 総合すると、この三角関係に基づく五代のやきもちはあまり正当なものとはいえないようです。五代もそのことに気づいていて、「でも死人は無敵だ。彼女の中で理想像が増殖していく」と漏らしています(1 巻 PART♥7「春のワサビ*7」)。

めぞん一刻』は、最終的にこの (五代 → 響子; 惣一郎さん) という三角関係を発展的に解消する物語ですが、いきなりこの話に切り込んでいくのは難しそうです。というわけで、1 巻でこの三角関係が提示されたのは予告のようなものであって、惣一郎さんの影はすぐに後景に退いて、つぎの三角関係が現れます。

5.2 (五代 → 響子; 三鷹)

 そうして登場するのが三鷹です。まずはこの三角関係に基づくやきもちがどれくらい正当かをみてみましょう。

 まずは三鷹の恋敵としての身分です。三鷹は収入や容姿という点では五代よりも勝っていますが、とくに響子さんと情緒的な、あるいは社会的に公認された関係にないという点では同列です。張り合いのある正当なライバルといってよいでしょう。

 五代から響子さんへの感情の表出は、依然あの酔った挙句の告白と同レベルですが、三鷹を契機としてやきもちを妬くことで追加で示されます。

 響子さんから五代に対しての意思表明はどうでしょうか? ここには三角形のよっつめの頂点があって、それが彼女を陰から縛っています。もちろんそのよっつめの頂点とは惣一郎さんのことで、惣一郎さんの死の影響下にある響子さんは、まだ五代からの――というか、だれからのでも――アプローチに応えることができません。

 五代もそれを理解していて、どれだけ三鷹の出現にやきもちを妬いたところで、響子さんが死者の影に囚われているといううしろめたさがありました。しかも、そのせいで、響子さんからの愛を期待することはできないかもしれないのです。

 しかし、このうしろめたさは微温湯的なうしろめたさでもあります。響子さんが惣一郎さんの影に縛られている限りは、三鷹に取られる心配もないわけですから。

 これが第一のうしろめたいやきもちです。三角関係はある程度正当ですが、ある程度は不当で、そんな中途半端な三角関係に基づいて、五代は生ぬるいやきもちに安心して興ずることができるのでした。

5.3 (響子 → 五代; こずえ)

 とはいえ、このままではまったく脈なしの女性に付きまとう男ふたりという、ラブコメというよりはホラーの構図になってしまいますので、響子さんからの矢印がそろそろ出てきてくれないと困ります。そこで現れるのがこずえちゃんです。

 ところで――響子さんはいつ五代のことを恋愛対象としてみなすようになったのでしょうか? 1 巻の段階では「ダメな弟持った気分よ」と述べており(1 巻 PART♥5「春遠からじ?」)、あまり恋愛対象としては捉えていないようです。1 巻 PART♥9「アルコール・ラブコール」2 巻 PART♥1「三鷹! 五代」での告白を受けて、そして、こずえちゃんが恋敵として登場することによって、徐々に恋愛対象として候補に挙がってきたというかんじでしょうか? それも間違いではないでしょうが、おおきなターニングポイントはやはり 3 巻 PART♥9「混乱ダブルス」における五代の発言でしょう。

「管理人さんは‥‥ そ…惣一郎さんをまだ あ、あ、愛しているから…………… だから、まわりが勝手にさわいだってしよーがないんだ」
めぞん一刻』3 巻 PART♥9「混乱ダブルス」より

 響子さんがつぎの恋愛に踏み切れない理由は、惣一郎さんのことに整理をつけられないからでしたが、五代がそのことを理解しているということを知って、響子さんは五代の気持ちが真剣であることに気づきました(内実についてはまだ理解していませんが)。逆説的に響くかもしれませんが、「無理をして呪いを解かなくてもいい」といわれることで、はじめて弛んでいく種類の呪いがあるということです。

 じっさい、響子さんが五代とこずえちゃんの関係にはっきりとしたやきもちを妬くようになるのは、このシーンを経たあとからです*8。では、これを踏まえたうえで、改めて (響子 → 五代; こずえ) の三角関係をみてみましょう。

 五代から響子さんへの好意はすでに明白に表明されています。五代もこずえちゃんも若くてお似合いの独身同士ということもあって、こずえちゃんは恋敵としての資格をじゅうぶんに持っています。また、じしんが未亡人であるというのもこずえちゃんに対する引け目のひとつではあったでしょう。

 いっぽう響子さんは五代に対して明白に好意を伝えていません。好意らしきものはすでに抱いているといっても過言ではないのですが(そうでなければこずえちゃんのことで五代にやきもちを妬く理由がありませんから)、そのことをみずからに対しても隠し、抑圧している状態です。なぜ五代への好意をすなおに認められないのか――それは、当の五代によって、惣一郎さんを無理に忘れる必要はない、といわれてしまっているからです。

 五代になびくことは惣一郎さんを忘れたことを意味する、と、すくなくとも響子さんは考えています。だから、響子さんが五代のことを、みずからのことを真剣に考えてくれる、理解してくれるひとだと認識した当のきっかけを重く捉えれば捉えるほど、かえって五代への好意をみずからや周囲に対して認めることは、そのきっかけに対する裏切りになってしまうのです。このアイロニーが、響子さんの妬くやきもちのうしろめたさの原因です。

6. 諸三角関係について(続)

 さてこうしてしばらくは (五代 → 響子; 三鷹) と (響子 → 五代; こずえ) というふたつの中途半端な三角関係を中心に物語は進んでいきます。とはいえ、いつまでもやきもちを妬きあっているだけでは話が進展しないので、どこかでなにか変化が起きる必要があります。

6.1 落ちる

 中核となる変化が起こったのは 7 巻 PART♥4「落ちていくのも」、PART♥5「宴会謝絶」でしょう。「大切な話」をするといって出ていった五代が、こずえちゃんのセーターを着て帰ってきたことに響子さんはやきもちを妬いてしまいます。そのことにいいかげん五代は業を煮やします。

「あなた いったいぼくを どう思ってるんですか⁉」「ぼくのことどうでもいいと思ってるんならねっ、ヤキモチなんかやめてください‼」
めぞん一刻』7 巻 PART♥4「落ちていくのも」より

 意地を張った響子さんは屋根から落ちそうになっても五代の助けを求めず、それが原因で五代は大けがをしてしまいます。

 響子さんはこのことを過剰に気に病みます。というのも、骨折は骨折で大けがですが、それだけが問題なのではないからです。より重要なのは、肉体の怪我によって象徴されることで浮き彫りになった問題――つまり、みずからのふるまいが五代の心をないがしろにしていたことに気づかされたことでした。

 五代が三鷹を K とした三角関係に甘んじてやきもちを妬くことができたのは、響子さんが惣一郎さんの影にまだ囚われている、そのせいでだれの好意にも応えられない――といううしろめたさに由来するものでした。だからこそ、響子さんがやきもちという形で五代に好意めいたものを仄めかすことは、かれにとってはありがたいことだったかもしれませんが、同時にいままでの関係の基盤を揺るがすようなものでもありました。

 五代からのアプローチを受けながらも、みずからの態度はあいまいにし、三鷹との付き合いも続けながら、五代がこずえちゃんと仲良くすることにはやきもちを妬く。みずからもプロのやきもち妬きである響子さんは、五代がいまどのような気持ちでいるかわかってしまったのです。

 しかし――それで響子さんが選んだのは、「やきもちを妬かない」という選択肢でした。

「もう絶対、ヤキモチ妬いたりしません。」「こずえさんとあなたのこと邪魔する権利なんてあたしには……」
めぞん一刻』7 巻 PART♥4「宴会謝絶」より

 響子さんは権利もないのにやきもちを妬いたことがすべての原因だと考えています。やきもちを妬く程度には五代のことを気に入ってることを認めるところまでは進みましたが、そこで自覚したじぶんの感情を、改めて正当性のないものとして抑圧してしまうのです。

6.2 (響子 → 五代; いぶき)

 それからの響子さんはやきもちを妬かないように努力します。片意地を張っているようにしかみえませんが、この態度を改めさせるのに、のほほんとしたこずえちゃんではじゃっかん力不足なようです。

 というわけで登場するのが八神いぶき*9です。いぶきちゃんは思い込みが強く、行動力もあります。挑発するようなふるまいで響子さんを揺さぶることもします。

 いぶきちゃんは響子さんのやきもち心を煽るだけでなく、響子さんの気持ちに直接踏み込んできます。

「本当は五代先生のこと好きなんだ」
「五代先生の片思いなんですね。よかったあ」(9 巻 PART♥7「パジャマとネグリジェ」)

 こうしてついに響子さんはやきもちを妬かされてしまいます。

「あらやだ。寿命がきたよーですわね。この竹ボーキ。」
めぞん一刻』9 巻 PART♥7「パジャマとネグリジェ」より。ここすき

 いぶきちゃんとの応酬のなかで、響子さんは否応なくみずからの抱えるアイロニーを自覚させられます。つまり、「惣一郎さんのことを無理して忘れなくていい」と、みずからの気持ちに寄り添ってくれたことで五代のことを意識し始めたのに、五代のことを意識すればするほど惣一郎さんを忘れたことになってしまうというアイロニーを。

「このままじゃみんなウソになりそうで…こわい…」
「あなたはいいわよね八神さん だって…」「まだひとりしか好きになったことないんでしょ」(11 巻 PART♥11「弱虫」)

6.2.1 (いぶき → 五代; 響子)

 ところで本題からは逸れますが、いぶきちゃんのその後はどうなったのでしょう?

 いぶきちゃんはそもそも、非響子さん的なキャラクターとしてこの物語に導入されました。彼女はじぶんに五代から愛される資格があるかどうかなんてことは気にしませんし(「未亡人より女子高生の方が有利よっ」(9 巻 PART♥4 「こころ」)とは言い張っているものの、ふつうに考えたら女子高生が教育実習生の恋愛対象になるわけありません)、五代が愛するに足る男であるかということにも考えを回しません。五代が就職に失敗しそうでも意に介さないくらいですから。

「あたしが働きに出て五代先生を食べさせてあげるの。いい考えでしょ」
めぞん一刻』10 巻 PART♥2「深夜の面接」より。かわいすぎ

 彼女は恋愛に正当性なんて求めません。好きが最優先です。とはいえ、この態度は女子高生時代の響子さんと重なります。そのまま勢いだけで押し切ってもおかしくはありませんでした。

 そんな彼女はどうして物語からフェードアウトしてしまったのでしょうか。彼女は 11 巻をさいごに最終話まで姿を見せませんが、11 巻 PART♥11「弱虫」で彼女が知ったのは、響子の惣一郎さんへのまだ捨てきれない思い、それと矛盾する五代への感情でした。これを矛盾とは認めないいぶきちゃんであれば、よりいっそう五代へのアプローチを強めてもいいはずでした。

 しかし、彼女は理解してしまったのです。亡夫への思いが強く、しかもそれと同じくらい強く五代のことを思っていなければそもそも葛藤が生じないことを。こうして、彼女は響子さんから五代を奪おうとすることに怖気づいてしまいました。彼女じしんが、はじめて知ってしまったのです。爛漫だった彼女にはこれまで存在しなかった、うしろめたいという感情を。「弱虫!」という響子さんへの檄は、みずからへのものでもあったのです。

6.3 (五代 → 響子; 惣一郎) ふたたび

 さて、こうして話はさいしょの三角形に戻ってきます。五代も響子さんも、けっきょくのところ惣一郎さんとの向き合い方を直視しないことにはなにも進展しないのです。背景では三鷹が結婚を意識した動きをしたりしていますが、本質的に三鷹はもうレースから脱落しています。かれの役割は結婚の二文字を現実味のあることばにすることで五代の自立心を促したり、そういったものになっています。

 三鷹が響子さんへのアプローチを強めていくいっぽうで、五代は就職活動に勤しみます。五代はプロポーズの必要条件として社会的に自立しなければならないと思い込んでいるのです。

「おれはただ… まだ自信がないから… 惣一郎さんみたいになれないから………」(10 巻 PART♥5「桜迷路」)

 五代は就職して自立すればおのずから自信もついて惣一郎さんの影におびえることもなくなるだろう、と思っていますが、かれが張り切れば張り切るほど状況は悪くなっていきます。保育園のアルバイトはクビになり、キャバレーの呼び込みで糊口をしのいでいます。

 響子さんはいぶきちゃんによってみずからのアイロニーを自覚させられたわけですが、響子さんの問題はこのことに今まで無自覚だったことであって、自覚したことで彼女じしんの気持ちは一歩前へ踏み出しています。11 巻 PART♥2「二人の旅立ち」では、五代に三鷹との仲を勘違いされたことで泣いてしまったことの意味をじぶんでも理解できなかった響子さんの夢のなかで、惣一郎さんが「バカ」と彼女を諭すように導きます。彼女は徐々に再婚へ気持ちが傾きはじめています。12 巻 PART♥10「草場の陰から」では「再婚の意志はあります」と認めるまでになりました。

 そんな響子さんにとっても、結婚への障害はやはり五代がしっかりしてくれないことにあります。といっても、それは五代がおもうように、かれが経済的、社会的な意味で自立していないという意味ではありません。そんなことはどうでもよくて、五代が改めて「惣一郎さんよりおれを選んでくれ」と宣言してくれることを意味していました。

 なのに五代は保父になることにこだわってしまっています。〝しっかり〟するまでは響子さんにアプローチすることはできないとおもって、かえって響子さんに対して一線を引いた態度を取ってしまいます。響子さんとしては五代がそう勘違いしているとしても、保父になったうえで自信をつけて改めてプロポーズしてくれるなら、と待っていますが、それでもお互いの間に確かなものがないことで不安になっています。

6.3.1 (三鷹 → 響子; 五代)

 ところでまた本題から逸れますが、三鷹はなぜ五代に勝てなかったのでしょうか。といっても結論は明らかです。三鷹は惣一郎さんの影のことを真剣には恐れなかったからです。すでに先述しましたが、三巻 PART♥9「混乱ダブルス」で五代に対して取ったおくれを、かれはさいごまで挽回することができなかったのです。

 三鷹はじっさいプレイボーイです。響子さんが惣一郎さんの影に囚われていることはわかっていても、時間がいずれ解決する、じぶんならその寂しさを埋められる、と考えていました。惣一郎さんのことを響子さんの人生における欠落部分と考えていたわけです。

 そのことは惣一郎さん(犬)の扱い方が象徴しています。かれは当初犬嫌いで、惣一郎さん(犬)のことを受け入れることができませんでした。いっぽう五代は惣一郎さん(犬)のことを響子さんの一部としてしぜんに受け入れていて、4 巻 PART♥3「ふりむいた惣一郎」では焼き鳥の匂いに釣られて失踪した惣一郎さん(犬)を必死に探してくれました。じっさい響子さんも、このときの五代のうしろ姿に惣一郎さんの面影を認めています。

 三鷹が犬嫌いを克服するのは物語の後半になってから、必要に追われてのことでした。三鷹にとっては生理的な問題であって、仕方のないことではあったのですが……。三鷹がさいごまで惣一郎さん(犬、人間)のことを響子さんの一部を構成するものとして捉えられなかったのと対称に、五代はさいごには惣一郎さんの思い出のなかに生きる響子さんを、あるいは響子さんの思い出のなかに生きる惣一郎さんを受け入れました(後述)。五代は恐怖、うしろめたさを感じたからこそ、それを克服することができたのです。

 三鷹はけっきょく響子さんに応えてもらうことができませんでした。そんなかれが、明日菜さんとの関係を進めていく契機がどれもうしろめたいものであること――妊娠させたと勘違いすること、二番目で妥協したというのが表情でバレてしまうこと――なのは、興味深い点だと思います。この物語のなかでは、けっきょくすべての恋愛はうしろめたい要素を含み、だからこそ進んでゆけるのです。よいほうにも悪いほうにも。

6.4 (響子 → 五代; こずえ) ふたたび

 さて、そんな折に響子さんはこずえちゃんと五代がキスをしているところをみかけてしまいます。もう響子さんはじぶんの気持ちに気づいていますので、「私には聞く権利があると思いますから」(14 巻 PART♥5「大逆転」)ということができます。7 巻の時点では先述のように「こずえさんとあなたのこと邪魔する権利なんてあたしには……」といっていたところからするとおおきな進歩です。じっさいこうしてきちんとやきもちを妬くことですれ違いはすぐに解消されるわけですが、そのあとすぐに五代がこずえちゃんにプロポーズしたと聞かされて今度こそ激怒してしまいます。

 キスをしてしまったのはこずえちゃんの策によるものでしたが、プロポーズ云々は誤解とはいえ、五代がこの期に及んで態度をはっきりさせなかったことに原因がありますので、この怒りは正当なものです。そこにさらに、朱美とラブホテルから出てきた五代のことで追い打ちをかけられてしまいます。

 ここで五代が「あなたしか抱きたくないんですっ‼」(14 巻 PART♥10「好きだから…」)と断言したこともあって、響子さんは態度を軟化させます。「意地を張りすぎて疲れちゃった」(同 PART♥11「好きなのに…」)響子さんは「確かなもの」を求めて、「楽になれる」と思って、五代とホテルに入ります。

 しかし、不幸なめぐりあわせで惣一郎さんのことを思い出してしまい、これは不手際に終わります。本丸の問題を解決せずに、勢い任せで進んでもどうしようもないのです。

7. 音が無くても響いてる

 こずえちゃんときちんと別れた五代は、響子さんに、あるいはじぶんに対してみずからの気持ちを認めます。

「おれ、惣一郎さんのことで頭がいっぱいになっちゃって… …ていうか…」「響子さんがおれに抱かれながら、 惣一郎さんのこと思い出してたらどうしよう… …なんてしょーもないことを…」(15 巻 PART♥2「契り」)

 けっきょくのところ惣一郎さんは間違いなくこの世に存在したのであって、その精神は、身体とともに完全に破壊されたわけではありません。むしろ、そのうちのあるものは永遠なるものとして残っているのです。忘れることも、なかったことにもできなければ、代わりになることもできません。

 だからこそ、五代は

「おなじようなしあわせは、あげられない… けど… うまく言えないけど、なんて言うか、おれの… おれのできること。おれのやりかたで… 違う幸せを響子さんにあげたい おれにはそれしかできない」(同巻同話)

 と決意することができたのです。

 もはや五代は惣一郎さんのことで響子さんにやきもち jealousy を妬きません。「正直言って、あなたがねたましいです…」(同巻 PART♥9「桜の下で」)というように、惣一郎さんに対してのねたみ envy は抱えていますが、それでも「初めて会った日から響子さんの中に、あなたがいて… そんな響子さんをおれは好きになった」「だから…」「あなたもひっくるめて、響子さんをもらいます」と主張するだけの強さをいつの間にか身に着けていました。

めぞん一刻』が三角関係ややきもちを多用しながら、それが抱えるパラドックス――やきもちを妬かせるような関係はふつう長続きしない――を解消するためにうしろめたさ、という要素を導入したことは先に述べました。この物語の素晴らしいところは技術的に導入されたそれを、テーマにまで昇華しきっているところでしょう。

 道のりは数年間にわたる長いものでしたが、死者の悼みを乗り越えるのには、それくらい時間がかかってもおかしくはないことだったのでしょう。そんな長い道のりに寄り添ってくれる五代だったからこそ、響子さんは好きになったのでしょう。周囲にもじぶんにもなかなか五代への好意を認められなかった響子さんですが、回り道もやきもちもすれ違いも、ぜんぶ必要なプロセスだったのでしょう。

「ずっと前から五代さんのこと好きだったの」「ずっと前からって…いつから?」「忘れちゃった!」
めぞん一刻』15 巻 PART♥2「契り」より

 音無響子の心のうちは、音が無くてもずっと響き続けていたのです。






*1:つまり、ここでは "envy" や "jealousy", 「ねたみ」「やきもち」「嫉妬」などの単語の、語源的に正確な理解や、じっさいの用法に忠実な記述をかならずしも目指しません。

*2:envy にはそれが悪感情である、あるいは、ねたみの対象となる人物への悪感情を含む、というニュアンスがあって、単純に日本語の「嫉妬」や「羨ましさ」とは交換できません。ここでは「ねたみ」としましたがこれも完全な訳にはならないでしょう。

*3:けっきょく現代では、envy とおなじように、他人をその所有するものによって羨むこととしても使うことができますが。むしろ、envy に伴う悪感情がないぶん、口語では jealousy, jealous のほうが使いやすいシーンもあるでしょう。

*4:やきもち zelotypia の対象が恋敵ではなく恋人であることはスピノザも指摘しています。『エチカ』第三部定理 35 備考を参照のこと。『エチカ』における「ねたみ invidia」と「やきもち zelotypia」の定義を必ずしもここでは踏襲していませんが。(ちなみに、既訳では zelotypia = jealousy は「嫉妬」(畠中、工藤、斎藤)「羨望」(福居)などと訳されていることが多いようです。羨望はなんかちょっとちがくない?)

*5:ここではシスヘテロ的な恋愛関係のみを取り扱いますが、これはいまの話題が生殖という限定下にあるためです。それ以外の恋愛関係におけるやきもちのありかたについてはそれはそれで興味深いテーマだとおもいます。

*6:こういうことをいっているひとがいるのかどうかはしらないです。が、みなさんの実体験がこの効果の実在を裏付けるのではないでしょうか。

*7:以下すべて引用は新装版から。

*8:2 巻 PART♥4「メモリアル・クッキング」ではこずえちゃんとデート中の五代をみたときにむかむかしたりしていますが、これは同 PART♥6「桃色電話」で大学のサークルの女の子たちから電話がかかってきたときとおなじ種類の嫉妬であって、ようするに好きといったくせに他の女の子と仲良くしている軽薄さへの反感が大半を占めています。そういうわけで、まだこずえちゃんを潜在的な恋敵として認めたうえでのやきもちではありません。その証拠に、同 PART♥10「影を背負いて」ではこずえちゃんとなんの屈託もなく会話しています。

*9:わたしはいぶきちゃんがいちばん好き。