Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

フランク・ノリス『マクティーグ』

 

マクティーグ (ルリユール叢書)

マクティーグ (ルリユール叢書)

 

  読んだ。面白かった~~。ルリユール叢書は(いちおう前に出た二冊も買ってあるのですが)はじめて読んだ。装丁よしラインナップよし付録、年表、解説よしで値段を除けばみんなにお勧めできる叢書っぽい。本書は岩波文庫にも入っているのだが(『死の谷』)、長いこと書店では在庫切れ。ネットで感想探したら読んでる人だいたいガーディアンの必読リスト埋めてるやつだった。茨の道すぎるだろ。あのリストはキャンプコンセントレーション入ってるからいいリスト。ほんとか? 334 入れとけよ。

 

 

 ところでみなさんはなにかを所有していますか? 所有しているものに対してあなたは厳密にはどういう権利を持っていますか? 所有しているものに対して権利を持つって具体的にはどういうことなんですか?

 それを手の届くところに置いているということ? ほかの人に触られたら文句を言っていいということ? それを使用してなにか利益を得てもいいということ? もちろん正しい。部分的に。というのは、所有しているものを所有したまま他人に貸すことはできるし、その場合、借りた人間が所有していないものを手元においておくことができる。図書館で借りた本を読んでも罪に問われないし、たとえばトリナはオールバーマン叔父さんにお金を投資していて、オールバーマン叔父さんは持ってもいないお金を使っている。あるものを所持したり、使用することは、持っていなくてもできる。

 売ったりあげたりすることはどうだろう。これはもちろん所有していないとできない。他人の物を売ったり人にあげたりすることは当然できない*1。自分の所有しているものを壊すことはどうだろう。当然人のものを壊すことは許されない。壊していいものは自分が持っているものだけである。

 なんでこんな話を始めたかというと、『マクティーグ』が所有権をめぐる物語だからだ。

 

 シュトロハイムによる映画*2のタイトルが Greed であることからもわかるように、『マクティーグ』の主題は欲求、貪欲であると考えられる。ところで人がものを所有するのには取得と維持の様態があるのであって、欲求はその二様態のどちらについても言えることである。Greed はおそらく第一義的にはトリナの常識はずれな吝嗇癖を指している。トリナの欲求は本来的に維持の方向を向いている。たとえば、本作のストーリーで最大の焦点となる五千ドルは富くじによって入手したものであって、強く欲求して手に入れたものではない*3。節約によってへそくりを増やそうという欲求はあっても、収入を増やそうだとかそういった方向に考えが行くことはない。

 いっぽうでマクティーグの欲求は混乱している。この物語はマクティーグがトリナを欲求することから始まるが、トリナを得た瞬間にマクティーグの情熱が冷める様子が悪趣味なまでに鮮明に描かれている*4。マクティーグは看板に黄金の臼歯を欲しがる。そして、五千ドルという大金について、マクティーグはトリナがそれに全く手を付けようとしないことにいら立つ。ではマクティーグはものを所有しているという事態を維持することに興味がないのだろうか? そこが難しいところだ。少なくともマクティーグは自分がなにかを所有しているという事実そのものによって満足を得るタイプではない。生活に困れば絵などの大事にしていたものを売ることにも同意した。ただ、黄金の臼歯や、コンチェルティー*5、なんといってもカナリアを売ることには同意しなかった。

 マクティーグはなにを嫌っているのだろう。それはかれの神聖不可侵な所有権が侵害されること、つまりは、自分のものを勝手に売られたり、壊されたりすることである。生活に困ってものを売ること自体はかまわない、それが同意できるものについてであれば。ただ、自分が同意していないものを売られることには耐えられないのだ。

 マクティーグが所有権の侵害になによりも憤ることは物語のあらゆるところで強調される。マクティーグとマーカスが喧嘩をしたあと、マクティーグが真に怒りを覚えたのは命の危険を覚えたからではない。パイプを破壊されたせいだ*6。マクティーグはトリナがかれのコンチェルティーナを勝手に売り払ったことも許せない。トリナが五千ドルを手元に引き出しておきながらホームレスまがいのかれにびた一文与えなかったことも怒りの原因だったが、かれがトリナを襲撃するに至ったのはやはり楽器の件で「怒り」が「内側に大きく膨れ上がった。トリナへの憎しみが、寄せては返す大波のように舞い戻ってきた*7」からなのだ。

 

 ものを所有するとは結局どういうことなのだろうか? 所有するとはいかにも不安定なことではないだろうか? 持っているものはマーカスがしたように、壊されるかもしれない。トリナがやったように、勝手に売られるかもしれない。なんで自分が持ってるものを、他人の手でどうにかされてしまうなんてことがあり得るのだろう?  マクティーグはトリナを所有しているはずだった。なのに、マクティーグにトリナを譲ったはずのマーカスはトリナ(というよりか、トリナに付随する五千ドル)に対する権利を何度も主張した。トリナはおれの、五千ドルはトリナの所有物のはずなのに、どうして? どうしたらあるものを決定的に、有無を言わさず、誰の邪魔もされずに所有できるのだろうか?

 ところでマクティーグはトリナを所有している。トリナ自身の口から明らかである*8。 マクティーグがトリナを殺害しなければならなかった理由はそこにある。神聖不可侵な所有権を侵害されることにどうしても耐えられないマクティーグは、トリナを完全に所有する必要があった。先述のように、保有や使用は所有者のみに許された権利ではない。譲渡ですら無権利者によって行われうる。あるものに対しての所有権を非可逆的に確定するためには、破壊するしかないのである。だからマクティーグはトリナを殺さなければならなかったのだ。

 

 そんなマクティーグが最後の最後まで所有していたものがある。カナリアだ。なぜカナリアなのだろうか。当然、カナリアが鉱山労働の象徴だからである。

 

 

 

 

 

 

 

*1:そうだろうか? 善意取得は? マクティーグのコンチェルティーナをトリナは勝手に売り払うが、家具屋はこのコンチェルティーナを正当に所有していないだろうか?(英米法は原則他人物売買を認めないらしいが、少なくともマクティーグは無権利者であるトリナから家具屋への売り払いを有効なものとみなしている。そうでなければ買戻しを計画することはない)つまり、人のものを勝手に売ることは場合によってはできる。後で重要になる。

*2:未見。

*3:トリナがマリアからくじを買ったのは「ひどく気まずくなってきたので、トリナはその女を追い払いた」かったからだ。

*4:pp. 100f., pp. 213f.

*5:Oelbermann がオールバーマンなら concertina も英語読みでコンサーティーナでいいじゃんねとかちょっと思った、日本でもふつうコンサーティーナだし。

*6:pp. 168f. マクティーグの怒りが収まるのがトリナのプレゼント(金の臼歯)を発見したからだというのも興味深い。

*7:p. 407

*8:p. 207