Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

読書感想文『ごん狐』(あるいは、火縄銃の煙はなぜ青いのか)

先日田舎に帰った際、久々に会った親戚の小学生(四年生)が「ごん狐」の感想文をこしらえるのに困っていると訴えてきた。

読書感想文を書くのがうまかった(内容がよい、というよりは書くスピードが速い)わたしはかれの訴えに共感できず、へえ~そうですかと適当に聞き流しながら教科書を手に取って久々に『ごん狐』を読んだ。こんなに短かったのか。

小学生の頃は学芸発表会との名で演劇を披露するというカリキュラムがあった。よく覚えていないが、小一時間はある劇だったように思える。それが、こんな短いテクストだったとは。(ちなみに私は兵十の配役を希望したのだが、ごん狐をやらされる羽目になった。勘違いしてはいけない。ごん狐は物語の主人公とはいえ、六人がその配役に当てられていて、一人で最初から最後まで演じ切る兵十のほうがよっぽど花形なのである。)

 

で、以下は興の乗った私がかれの代わりに書いた感想文である。

 

 

 

「ごん狐」

0. はじめに

この物語は閉じられていないカギカッコのようなものである。

これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

このように、物語は冒頭部分ですでに「私」と「茂平」の二人の人間を導入する。「茂平」なる人物によって語られた昔話を「私」が語っているという枠構造を取っている。しかし、「私」も「茂平」もこのあとのテクストには一切姿を現さない。物語の性質上、「めでたし、めでたし」や「……とさ」などの結びは不適切だろうが、なんにせよ、「私」は語り終えたテクストについてなんのコメントも残さない。

いやしかし、そもそも、「人」から「聞いた話」であるはずの物語が、なぜ狐の目線で語られているのだろう。『ごん狐』は六章で構成されているが、六章を除いてすべてごんの視点から描かれている。

 

 ここまで考えたとき、私にはこの話が突然グロテスクな作り物めいて見えた。「私」は「茂平」という人物から聞いたという体を装って、なんらかの教訓的な話をしようとしているのではないか。ここからは、読み取るべき正解のメッセージがあるのではないか。

 

そうだ。そう考えれば、「ごん狐」の作為的な点、あまりに近代的な小説すぎる点ならば、いくらでも抜き書きできる。印象的なのは二章だろう。兵十の老いた母親の葬式というシーンであるが、「赤い井戸」「ひがん花」「赤いさつま芋」と「白い着物」が対比されている。鮮やかな視覚効果。

 

また、全編は文学的アイロニーの応酬で構成されている。ごんのいたずら(うなぎを盗む)は兵十の母親の死という結果をもたらし、母親の死によってごんはまず一度後悔する。

そして盗んだいわしを兵十の家に放り投げるが、これは兵十が盗人と間違われるということにつながる。

再び反省したごんは栗やまつたけといった自然物を置いていくようになる。しかし、ごんのこの行為は加助によって「神」の思し召しだとみなされてしまう。ごんは「おれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。」と不平を述べる。この傲慢に対する報いはご存じのとおりである。

 

うなぎを盗んだことで発生した罪を、ごんはいかに償うことができるか。

罪を償うために再び罪を犯すことは許されない。罪を償うことを自らの心の安寧のためにしてはならない。実に教訓的。まさか、新美はこんなことを伝えたかったのか?

 もちろんそうではない

 

1. ふたつの「ごんぎつね」

じつは、現在教科書に採用されている『ごん狐』のテクストは昭和七年の雑誌『赤い鳥』に掲載されたものであるが、これは新美南吉の投稿したテクストに鈴木三重吉が大幅に手を入れたものだということが明らかになっている。 改変前のテクストは新美南吉の創作ノートである「スパルタノート」にあるが、そこでは『権狐』というタイトルが用いられている。(そのため、以下、『ごん狐』と『権狐』、また「ごん」と「権」をこれによって使い分ける。)

『権狐』から『ごん狐』へ。それはどのような改変だったのか。

一言で言えば、鈴木の手が入ったのちの『ごん狐』は普遍的なテクストとなった。それを志して書かれている。そして、だからこそ教科書のスタンダードになった*1

赤い鳥版の『ごん狐』とスパルタノート版の『権狐』の違いは主に三点ある。

表現の簡素化、語り手の脱臭、道徳教育的意図の強調の三つがそれだ。

 

表現の簡素化という側面では、『権狐』においては多用されていた漢字、熟語の使用率を下げ、時代性、地域性を匂わせる固有名詞や方言を排除した普遍的な記述に変更するなどの改変が行われた。例えば、「むかし、徳川様が世をお治めになっていられた頃」などの表現が削除されている。「徳川様」という語によって江戸時代とその空気を想起されるのをきらったのだろう。とはいえ、この観点は(本稿では)あまり重要ではない。

 

語り手の脱臭、これは少し説明が必要かもしれない。

『権狐』において「私」はこの話を「茂助」という村の老人から聞いたことになっている(茂平ではない)。『ごん狐』の「茂平」が全く姿の見えない、いわば必要性のあまり感じられない存在であるのに対して、「茂助」は仕事ができず子どもたちの世話ばかりしていること、夏みかんを剥く手の大きいことなどが「私」によって記憶されていて、この話のなされた場所も若衆倉と特定されている。場所、語り手が強く読者に印象付けられる。

「茂助」は、なぜ『ごん狐』においては不要物とみなされたのか? この疑問はのちのち活きてくる。覚えておいてほしい。

 

道徳教育的意図の強調については二つのテクストを要所で比較するのが最もわかりやすいだろう*2

『ごん狐』第三章で、ごんは兵十の家にいわし売りから盗んだいわしを投げ込む。その際のごんの心情はこう表されている。

ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

ところが、『権狐』における権の心情は

権狐は、何か好い事をしたように思えました。

とある。「つぐない」という言葉はもとより強調されていない。

 

また、ごん/権の親切を不審がった兵十が加助に相談する場面。加助はごん/権の親切を兵十のことを哀れに思った神の思し召しだととらえる。これに対する反応は、

ごん狐:ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。

 

権狐:権狐は、つまんないと思いました。自分が、栗やきのこを持って行ってやるのに、自分にはお礼言わないで、神様にお礼を言うなんて。いっそ神様がなけりゃいいのに。

重要なのは、「引き合わない」という単語の追加である。ごんは、この親切を明確に贖罪の行為としてみなしている。そのため、兵十がその意図に気付かず、神の恩寵とみなすことは、赦しを得られないことを意味しているのだから、ごんにとっては到底受け入れがたい(引き合わない)ことなのだ。

 

2. 教訓話としての『ごん狐』

このように最小限の改変によって、『権狐』は『ごん狐』という教訓譚に作り替えられる。

ごんは自らの罪を死によって贖う。兵十はその最後にごんの行動とその真意を知り、最後の瞬間二者の間には理解が生まれ、兵十はごんを赦す。「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなず」くことで兵十の赦しに応える。

私たちはこの結末に泣く。「いいことをしたごんが勘違いで殺されるのはかわいそうだとおもった」「ごんを殺してしまった兵十もかわいそうだ」こういった類の感想はすべて結末の悲劇性、ここまで繰り返されてきたアイロニーの最たるものを適切にとらえている。

しかし変だ。どこかが変だ。

なぜごんは死ななければならなかったのか?

ごんは死んでいない、と主張するものが大人にも多いらしい。テクストにごんの生存の可能性を示す記述はないので、この主張をそのまま受け入れることはかなり厳しいが、それはそれとして、かれらはなぜごんの生存を主張するのだろう。感傷なのだろうか? ありえなかったはずの未来、ごんと兵十が仲良く共生する未来を夢見るからだろうか。

違う。かれらは『ごん狐』の持つ内的な矛盾に気付いているのだ。

 

『ごん狐』はごんの贖罪の物語である。ごんが罪を犯し、その罪を自覚し、贖罪を志し、赦されるまでの話だ。しかし、この物語が成立するためには、ごんの内面描写が真実であると確証されなければならないはずではないか?

肝試しで幽霊トンネルを訪れた大学生グループが全員死んだ、という怪談を、全員死んだならだれがその話を伝えたんだ、とまぜっかえすギャグがある。

さて、死んだはずのごんの内面を、誰が伝えたのだ?

「ごん狐」の物語を語っているのは誰だ? 「私」である。「私」に話をしたのは「茂平」である。茂平はおそらく兵十か、兵十から話を聞いた人に話を聞いたのであろう。

兵十が? 兵十が『ごん狐』を語る?

ありえない。兵十は赦しを与える側だ。与える側の兵十が、赦される側のごん狐の内面を想像して、話を作る? もう一度言うが、ありえない。想像してみてほしい。それがどれだけ傲慢な行為であるかを。

ごんは人間たちになにも語ることなく死んだ。このことが、ふつうにはラストシーンを強烈に補強するはずのその死が、ほんとうはなによりも、『ごん狐』を贖罪の物語とみなすことに反対するのである。

もちろん鈴木三重吉はこのことに気付いていた。だから、語り手を念入りに脱臭したのだ。

表現を簡素化し、語り手を脱臭することは何を意味するか? 『権狐』が持っていた実話としての迫力は、『ごん狐』においてはほとんど見られない。

普遍化、と先に述べたように、鈴木のこの改変は『ごん狐』という小説を作り出すという作為だった。小説であれば、神の視点がごんの内面描写に真実性を与える。『ごん狐』は完成した、そして創作された正しいテクストになり、誰によって伝えられたか考える必要はなくなる。内的矛盾は雲散霧消する。感動を阻害する作り話性は、冒頭にわずかに残された「茂平」と「私」によって紛らわされる。

誰もが『ごん狐』を小説として読んだだろう。お話を聞くようにはこの物語を味わわないだろう。あれほど温かみのある語りを想起させる「茂吉」は『ごん狐』には登場しないのだから!

お話として『ごん狐』が認識されるのはまずい。誰がその話をしているのか、誰によって伝えられた話なのか、必然的にそこに意識が行ってしまう。

鈴木の改変は(細部にミスがあるとはいえ)天才的である。

しかし、読者は敏感なのだ。『ごん狐』に残る違和感は、あの美しいラストシーンを、それでも否定したいという欲求をどうしても我々に抱かせるのだ。

 

 3. 『権狐』

ここまで我々は 『ごん狐』というテクストには内的矛盾があることを明らかにした。さて、なぜ矛盾は引き起こされたのか。考えられる理由は一つである。新美南吉のテクストと、贖罪の物語というテーマは、根本的に相いれないものだったからである。

このことを明らかにするためにはいよいよ『権狐』そのものを読解するしかあるまい。

 『権狐』は濃密な方言と固有名詞に彩られた”臭い”テキストである。じっさい、現代人である我々が読んでも脚注なしには理解できない単語を数多く含む。そして、何度も述べている「茂吉」の存在感によって、『権狐』はどうしてもローカルなお話、村のおじいちゃんから聞いたお話として感じられる。

ところで、お話と小説の違いはなんだろうか。一概にいうことはできないだろうが、それでも一つ指摘できることがある。作為性の有無である。小説においては語り手の作為によって表現をゆがめる技巧が許される。お話においても語りがゆがめられることはあるが、すくなくともそれは無意識的に行われる。

『権狐』は『ごん狐』に比較するとお話性が強いということだが、前節によれば、お話性の強さは何につながるのだったか。語り手の存在である。つまり、兵十だ。

 権の死を目にした兵十が語り継がねば、『権狐』という物語はありえない。では、兵十はなぜ権の物語を語らなければならなかったのだろうか。この節はこの疑問を取り扱う。

 

と言ってすぐに恐縮なのだが、 一度、語り手の問題は忘れて『権狐』のテクストそのものに潜りなおしてみよう。そのために、再び『ごん狐』と『権狐』の比較を行う。

まずは兵十の母親の葬式の風景を見たごん/権が、母親の死について思いを述べた文章であるが、ここには

権狐:ところが自分がいたずらして、 うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。それで、おっ母は、 死んじゃったに違いない。

 

ごん狐:「ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。」

 という違いがある。重要なのは「それで」と「そのまま」の違いである。

 鈴木はなぜこのような改変を行ったのか。「それで」という接続詞は、因果関係を想起させるというのがその解答である。

権の用いる「それで」は、兵十の母親の死の直接の責任を自らが引き受けることを意味している。もちろん、兵十の母親の死はかねてからの衰弱のせいであって、うなぎを食べ損なったことが直接の死因ではない。しかし、権はそう考えない。兵十の母親を、いわば殺したものとして自分を定義する(この認識の不自然さも鈴木による改変の理由の一つであると思われる)。

なぜか? この権の思い込みをうまく説明することができなければいけない。

ところで、先に比較した箇所において、権は「自分にはお礼言わないで、神様にお礼を言うなんて。いっそ神様がなけりゃいいのに。」と述べる。

さらに、物語のラストであるが、『権狐』は『ごん狐』とまったく違うテクストになっている。のちに引くが、この結末はあまりにも『ごん狐』とは異質なものになっている。

贖罪の物語に慣らされた我々はいぶかしく思ってしまう。しかし、『権狐』のストーリーを先に読まされた人がいたとしたら、その人は権をどう思うだろうか。全く先入観のない状態で、『権狐』を読んだとしたら?

そう。兵十のストーカーである。

 

ストーカーというのが不適切な表現だとしても、権が兵十に対して、愛情、ないしはそれに近い友愛の気持ち、表現はなんだっていいが、強い親愛の情を抱いていたと仮定しよう。

 兵十へのいたずらは、兵十の母親の死をきっかけにその性質を変える。権は「もういたずらをしなくな」る(この描写は『ごん狐』ではきっちりと削除されている)。いたずら心は執着に変わり、権の視界に占める兵十の存在感はいや増していく。

『権狐』第四章では象徴的な描写がある。

兵十の影法師をふんで行きました。

この描写は『ごん狐』においても保存されているが、権/ごんと兵十の距離を表す記述として機能している。権は兵十を知っているが、兵十は権を知らない。この非対称性が背後から見つめる権の姿で現されている。

そして、権は前述のように、自分の親切を神のめぐみと誤解されたことに対して、「神様がうらめしく」なる。これは嫉妬心である。だからこそ鈴木はこの嫉妬を削除し、「引き合わない」という感情に置き換えたのだ。

自らの親切を気づいてもらえないことに不満足を覚えた権は、五章でついに兵十の家の中に入る。今まで栗やきのこは納屋の入口(=裏)に置いていたのだが、その日ばかりは兵十が納屋で作業をしていたからだ。

しかし、この「家=母屋=表」に侵入する越境行為はたちまち兵十に目撃されてしまう。

権は兵十に気づかれることを望んでいたのだろうか。冷静な算段としては、害獣である自らが人間に気づかれることは死を意味する。四章で振り返る加助から身を隠すのはそのためだ。しかし、兵十の目線は、ほんとうは、権の望んでいたものそのものではなかったか。

兵十は何も知らない。だから、権を射殺する。しかし、その瞬間に、置かれた栗を見て、すべてを察知する。

「おや―。」

 兵十は権狐に目を落としました。

「権、お前だったのか………。いつも栗をくれたのは――。」

兵十のこの覚りを権は死の間際に聞く。そして、権は

権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。

 「うれしくなりました。」『ごん狐』では抜け目なく削除されたこのフレーズこそが『権狐』の極点であり、核である。

4. 加害と思い込み

 『権狐』における愛の構図はどうなっているのであろうか。

それは権のいたずらが兵十の母親の死の契機となることではじまる。権は自らの行為によって、兵十の母親を殺した。そう思っている。

そもそも、兵十の母親の死が描かれる第二章は、先に述べたように「赤」と「白」の色表現に彩られている。死を表すのに、紅白はないだろう。しかし、権にとっては、兵十の母親の死は喜ぶべき出来事であった。そのため、権の目線から描かれる母親の死の場面は、赤と白を強調されているのである。

なぜ権は母親の死を喜んだのか?

これによって兵十が一人ぼっちになるからである。権は「一人ぼっちの小さな狐」である。だから兵十が「俺と同じように一人ぽっち」になったことは権にとって、愛のはじまりにふさわしい出来事だった。

そして、その死の責任を自らが負っていることも、権に兵十を愛する動機を与えた。権は兵十に関わる権利を、償いに擬制することで得たのである*3

権と兵十の関係は、共通点と責任という二方向から一気に濃密さを増す。しかし、このつながりを知覚しているのは権だけだ。権は一方的な思い込みから、一方的な親切を開始する。

『権狐』において、愛の始まりは「加害」と「思い込み」であるということだ。

ところで、この前提を入れることで物語の結末はどう意味を変えるか。

兵十は権を「射殺」する。兵十と、権の間につながりが生まれる。そして、背戸口に置かれた栗というわずかな手がかりから、兵十は権の行為について「思い込み」を始める。

 だからこそ、権は「うれしく」なる。権と兵十の間に成立したのは和解ではなく、愛だ。

権はなぜ死ななければならなかったか。それは、加害によって愛が始まるという前提を持つこの物語において、人間である兵十から子ぎつねである権に対する加害は殺害という形を取るしかなかったからだ。

 

ついにこのお話の語りの構造に目を向けよう。この物語は「兵十」によって語られる。権の内面についての物語を、兵十が語る理由。

権の行動の細部について兵十が知ることができたはずがない。つまり、ディテールのすべては兵十による想像、思い込みだ。

権の思い込みを、兵十が思い込むこと。そもそも、相手の思い込みを自分のうちに思い込むことこそが双方向の愛ではないのか。

どういうことか。兵十が想像した権の内面、行動がすべて思い込みだったとしたら、それは兵十の都合のいい妄想と変わらないのではないか。違う。他者というのは決定的に分からない(それが他者の定義なのだから)。それなのに、相手の思い込みを思い込み、信じることが相手を愛することなのだ。そして、兵十は権を愛する。『権狐』というテクストは、我々に権を愛することを求める。そう。『権狐』は権の物語ではない。徹頭徹尾、兵十の物語である。

『権狐』の持つ複雑な語りは、決定的に他者でしかない他者との間に愛が成立しているという不思議な次元を描き出すために必須のものだったのだ。

 

しかし、この愛は悲劇だ。権の死によってしか実現されないのだから。始まりと同時に終わりを迎える愛の悲劇性を火縄銃から立ち上る青い煙が象徴する。

さあ、なぜ煙は青いのか? 全国の教室で何万回と問われたこの疑問に答えなければならない。

火縄銃の煙は当然に白い。しかし、白い煙に青い筋が含まれているのだろう。青い煙、そうわざわざ描写することで、新美は読者にあるものを想像させようとしている。

答えは浅葱幕である。

浅葱幕というのは鯨幕の黒い部分をうす青に置き換えたものだと思ってもらうといい。これは、日本において鯨幕よりも伝統の深い幕だと言われている。

鯨幕と言えば現代では葬儀に用いられる幕という印象が強いが、じつはこれは黒が死の色であるという西洋の伝統を輸入したのち、大正時代ころから行われるようになった風習に過ぎない。

 ところで、『権狐』は江戸時代の物語である。『ごん狐』では削除されているが、冒頭で「徳川様が世をお治めになっていられた頃」と明言しているからだ。

では、江戸時代に葬儀で使われた幕は何か。それが浅葱幕である*4

青白の煙は、始まりと同時に終わった愛を悼む浅葱幕だった。

 

5. 補遺

ところで、『権狐』が愛の物語であるという主張は全くのでたらめではない。

新美南吉自身が中学四年生の頃に書いた日記に「やはり、ストーリイには、悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る。けれどその愛は、芸術に関係があるかどうか。よし関係はなくても好い、(愛が芸術なら好いけれど)俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリイをかこう。」とあるからだ。

「悲哀は愛に変る」!

この物語にそんなテーマが描かれていたなんて、教科書の読者の誰が思いつくだろうか。そもそも、そんなテーマで書かれた物語が教科書に、あるいは『赤い鳥』という雑誌に載るだろうか。

確かに、鈴木三重吉の改変は見事なものだった。だから、『ごん狐』の読者がこれに思い至らなくても仕方がないことだろう。

でも。きっと新美南吉は自らのテクストが改変されてから掲載されることは知っていたのだと思う。そして、「悲哀は愛に変る」というある種ロマンティックにすぎるテーマが受け入れられないことも。

だから、新美は『権狐』を鮮やかな色で彩ったのだ。

じつは、鈴木はいろいろと『権狐』に手を加えたけれども、鈴木三重吉の改変によって失われた色はない。

改変者がどれだけ物語の細部の表現に手を加えようと、色はそのまま保存されるはずだ。新美はこの鋭い分析をもとに、色表象のうちにテーマを忍ばせることを思いついた。

鈴木三重吉の改変後のテクストに潜む、このひそやかな反逆。

このために、『権狐』は『ごん狐』に生まれ変わった後も、依然として愛の物語であることをやめない。

 

 

*1:木村功新美南吉『権狐』論――『権狐』から『ごん狐』へ――」(『岡山大学教育学部研究集録』111号、1999年7月)。なお、本節の記述のうち表現の簡素化とそれによる普遍性の獲得、語りの質の変容などの論点は木村のこの論考によるところが大きい。

*2:以下、『権狐』の引用には立命館小学校教諭の岩下修が作成したこの pdf を用いる(コピペができて楽だったので)。http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=95805 作成の経緯や岩下の用いた底本、そこからの若干の改変などについては 今こそ読みたい南吉原作の「ごんぎつね」 〜生誕100年を前に - 教育オピニオン - 明治図書オンライン「教育zine」こちらのリンクを参照してほしい。またこの記事が指摘する二テクストの差異とその位置づけについても多くを参考にしている。

*3:この擬制に気付かずに、あるいは意図的に無視して、『ごん狐』を償いの、贖罪の物語に書き換えた鈴木のやり方をどう評価するか?

*4:諸説ある。