Akosmismus

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

犬を飼っている。柴犬で、今年で十歳になる。もう初老と言えそうだが、昔から元気のない犬だったのでよくわからない。ただ、耳の後ろが少し白くなった。しかし、食欲はある。夜鳴きはもうとっくにしなくなったが、早朝に軽く吠える。うるさいというほどではない。
頭はあまりよくない。わたしの怠慢もあって、しつけも芸も褒められたようなものではない。とはいえ迷惑な犬ではない。散歩中ほかの犬とすれ違ってもおとなしくしている。小学生が頭を触ってよいかと求めてきてもおとなしくしている。ビーフジャーキーがないとお座りができない。お手やおかわりもできることにはできるが、お手、おかわりというこの順番でしかできない。
 
 犬は車道の車と遊びたい。車は強そうな匂いがして、とても速く動ける。ご主人が家に連れ戻そうとしても、腰を下ろして動こうとしない。ご主人がリードを引っ張ると、首輪はするりと耳の上へと抜けて外れ、地面に落ちる。彼女*1はこれを見て、車道へ駆け出す。そして車に轢かれて死んでしまう。
 
ところで、これはキジ・ジョンスン「犬たちが進化させるトリックスターの物語」*2の中から引いてきた挿話であるが、犬を飼っている人間にはよくわかる描写だ。
犬を散歩させていると、横を車が通る。誰しも自分の犬が轢かれるところを見たくはないのでぐいっとリードを引っ張るし、それが正しいと思う。犬は馬鹿だから車が危険なことを知らないのだろうと理解して、犬の安全を守ってやったと満足する。
まあそうだろう。犬は馬鹿だし、車に轢かれれば死ぬ。リードを引っ張らずとも前に飛び出したりはそうそうしないだろうが、とはいえ飼い主が犬の安全を守っているのも事実だろう。
でも犬は車と遊びたい。目を見ればわかる。うちの犬も掃除機は怖がるくせして、車を見ると急に元気になる。
犬は車と遊びたい。でも遊べない。われわれ飼い主が許さないし、そもそも犬と車は遊べない。車はそういう生き物じゃないから。
可哀そうだなあと思う。相手が子どもなら言葉で説明できるのに、犬相手じゃどうしようもない。きょうも犬は車と遊びたがるし、わたしはリードを強く引く。犬はべつに強く抗議するわけでもない。
こういうときに人間には原罪がやっぱりあるのだと強く思う。
 
べつにペットの幸せについて考えたいわけじゃないけど。人間のエゴで人工的な環境にペットを押し込めてとかなんとか言って自罰的になったところで、東京には犬を放つ野がない。そもそも比較の問題じゃないだろう。自然が一番というなら人間も酋長のもとに同族が集って狩りをするのが良い。核家族を守るために利益で連帯した人間のみが集まる会社で働く必要はない。
 
ペットは説明を受け付けない。人間相手なら言葉でごまかしているところが通用しないのが楽しい。戦争は嫌いでも将棋は楽しい。
 
まあせめて頭でも撫でてやろうかと思って犬を見たらなにも考えていなさそうな目でこちらを見つめていた。近寄ったら逃げた。犬というのはそういうやつなのである。

*1:犬のこと

*2:『霧に橋を架ける』(創元 SF 文庫)